有田を巡る ~泉山磁石場~

佐賀県有田町といえばいわずと知れた有田焼発祥の地。陶磁器関係の仕事に携わってから、いつかは行ってみたいと思い続けてかれこれ十数年。今回やっと訪れることができました。

京都からは新幹線で博多まで乗り入れ、そこから特急みどりに乗ること1時間あまり。松浦鉄道とJRが乗り入れる有田駅は、昔ながらのプラットフォームや待合所がある、のんびりとした雰囲気を残す駅です。駅に降り立った瞬間からちょっと昔にタイムスリップ、そんな不思議な空気が町全体に漂います。

有田町は老舗窯元や商家が立ち並ぶ皿山通りを中心に小路が広がる町で、焼き物の里と呼ぶにふさわしく、窯元やお店が多く点在します。少し足をのばすと九州陶磁文化館もあり、有田焼をはじめとする日本の陶磁器の歴史を知ることができます。

この季節に訪れると人影もちらほらですが、4月から5月にかけてのGWには陶器市が立つため、期間中はなんと100万人以上の方が全国各地から訪れるそうで、2017年は128万人もの人が。

ちなみに、私たちが訪れたのは先月11月末。ちょうど秋の陶磁器まつりが開催されていた期間だったので、町を巡る無料バスが出動。そのため、移動は比較的楽にできました。GWの陶器市は大勢の窯元さんや来場があるので見応えはありますが、人ごみがなぁ・・と尻込みしてしまっている方や、有田旅ビギナーさんには、秋の陶磁器祭りはオススメかも。

まずは巡回バスに乗って、焼きものの命でもある土が採掘されていた場所へ。かつて有田焼は泉山磁石場という場所で原材料を採掘していました。有田の中心部から車で5分ほど山道を登ったところにあるその場所は、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に連れ帰った陶工のひとり、李参兵(りさんぺい)が発見した場所です。

↑ この穴、昔は発破で穴をあけて採掘していたそうです。

磁石場の広さですが、真ん中の道を歩いている人を見ていただくとその大きさの規模がちょっとお分かりいただけるかと。広いです。

そして、磁石場から数十メートルの場所に有田焼の祖である李参兵の像がひっそりと祀られています。実は磁石場の隣は秋の穴場紅葉スポット。あいにく今年はあまり美しく色づかなかったようで、ちょっとさみしげでした。ザンネン・・・

この方が李参兵さん。陶磁器でできているのですが、近くで見ているとまるで動き出しそうなくらいのディテール。静寂に包まれた中、像の前に立っているとなんとなく厳かな気持ちに・・・

李参兵は日本に渡ったのち和名を金ヶ江三兵衛と改め、有田の地で陶工として窯を開きました。現在でもその子孫がその名を受け継ぎ、14代目金ヶ江三兵衛として窯を守っています

勉強不足のまま行ってしまいましたので(職業上あるまじきことスミマセン)、窯元の方に説明を受けて驚いたのですが、この地の土は何も混ぜずに陶磁器を作ることが可能だったそうです。通常ヨーロッパでは長石・石英・カオリン、など数種類の材料を混ぜて素地を作ります。(これがマイセンのベドガーをはじめとするヨーロッパ陶磁器の祖たちが苦労されたところですよねきっと。そんなアレコレを書いたコラムもありますので、よろしければ読んでみてください)。この泉山の土は、そんな陶磁器作りに必要な成分がミクロサイズで混ざった土で、さらには焼き物に欠かせないと言われるセリサイト(ロクロで形が作れる)の可塑性と磁器特有の透光性を実現できるという、2つの役割を担うことができる鉱石だったそうです。どうしてそんな土ができたのかというと、周りを堆積岩が取り囲むという有田の地形が密接に関係しているようで、さまざまな条件が重なってできた陶石だということですが、それにしてもよく見つけましたね参兵さん!と心の中で叫んでみたり・・・

現在でも老舗の窯元は泉山の土を一部使用しているそうですが、ほとんどの窯元が熊本県の天草の土を使用しているそうです。その場にいらっしゃった窯元の職人さんに聞いたところ、泉山の土は粘り気が少ないらしく、今では程よい粘りを持つ熊本県の天草の土を好んで使う窯元が多いとのことでした。現在何軒かの窯元が有志として、初期の有田焼を泉山の土を使って再現している活動をされているそうです。泉山磁石場、陶磁器に毎日触れている者としては、感慨深い場所でした。

 

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